『沈まぬ太陽』恩地元はなぜ左遷されたのか?信念を貫いた代償と報復人事

タイトルの理由
『沈まぬ太陽』を読み始めて、最初に強く引っかかったのが恩地元の人事です。
中近東の僻地を転々とさせられ、さらにアフリカへの赴任を命じられる。恩地自身は、その境遇を江戸時代の「流人」のように感じています。
なぜ、一人の会社員がここまで追い込まれなければならなかったのでしょうか。
第1巻を読んだ現時点で私が感じているのは、恩地の左遷は単純に「会社に逆らったから」というだけでは説明しきれない、ということです。
会社が人事という強い権限を使って恩地へ圧力をかける一方、恩地もまた、自分が正しいと思ったことを曲げようとしない。
会社の論理と、恩地の信念。その双方が一歩も引かなくなった結果として、恩地は次第に追い詰められていった。
私はこの構図こそ、『沈まぬ太陽』における恩地の左遷を考えるうえで重要だと思います。
※この記事は主に『沈まぬ太陽(一)―アフリカ篇〔上〕―』を読んだ時点での考察です。作品本文で描かれていることと、現実の企業・労働法上の事実は分けて扱います。
恩地元の左遷理由――会社との対立と「曲げない信念」
恩地がここまで厳しい人事を受ける背景には、労働組合をめぐる会社との対立があります。
作中の恩地は、自分の個人的な待遇を良くするために会社へ要求しているわけではありません。
組織の一員として、必要なことは会社へ伝える。おかしいと思ったところは正そうとする。
恩地自身には、「皆のために必要なことをした」という意識があります。
ところが、その行動によって経営側から疎まれ、自分だけが僻地を転々とするような人事を受けている。
だからこそ恩地は、自分に下された辞令を単なる海外赴任ではなく、罪人に対する「流刑」のように受け止めています。
新潮社も第1巻について、「異様な懲罰人事」「内規を無視した『流刑』」という言葉で作品を紹介しています。少なくとも作品上、恩地の海外勤務は通常のキャリア形成を目的とした人事として描かれているわけではありません。
私が最初にこの場面を読んだときは、かなり腹が立ちました。
会社員なのだから異動があること自体は当然です。しかし、自分が正しいと思って意見した結果として、人事によって罰を与えられるのだとしたら話は別です。
私なら、ここまでされた時点で会社を辞めると思います。
ところが恩地は辞めません。
ここからが、恩地という人物を単なる「会社の被害者」では終わらせない部分だと思います。
恩地は本社へ戻れる可能性があっても「踏み絵」を踏まない
印象に残ったのが、南総支配人から本社へ戻る可能性を示された場面です。
恩地にも家族がいます。
当然、日本へ戻りたい気持ちはあります。
それでも恩地は、会社の求める形で自分の節を曲げるくらいなら、本社に戻れなくても仕方がないという姿勢を崩しません。
ここを読んで、私は恩地をただ格好いいとは思えませんでした。
むしろ、
そこまでしなくてもいいだろう。家族のことも考えろよ。
という気持ちの方が先に出ました。
会社に屈しないこと、自分が正しいと思うものを守ることは立派です。
しかし、その代償を払うのは恩地だけではありません。妻や子どもの生活まで巻き込まれていきます。
「信念を曲げない人」と書けば格好いい。
けれども、信念を守るためなら家族にも負担を負わせてよいのかと聞かれれば、私は簡単には肯定できません。
一方で、恩地からすれば、会社の要求を受け入れることは単なる処世術ではなかったのでしょう。
これまで自分が組合員のためにしてきたことまで否定することにつながる。
だからこそ、戻りたい気持ちがありながらも「踏み絵」を踏めなかった。
ここには、会社から一方的に左遷されたというだけではない、恩地自身の選択も存在します。
報復人事の残酷さは、僻地勤務だけではない
恩地の境遇を読んでいて感じたのは、左遷の辛さは勤務地の不便さだけではないということです。
カラチに赴任した恩地は、初めての海外勤務にもかかわらず、十分な引継ぎを受けられない状態に置かれます。
恩地が赴任を遅らせたことについて会社側にも言い分はあります。
そのため、この場面だけを見て「恩地には何の責任もない」とするのも違うでしょう。
それでも、新しい仕事をする社員に対して、必要な引継ぎまで「自分で処理すべきだ」という態度を取る場面からは、単なる人事異動を超えた冷たさを感じました。
そしてさらに残酷なのが、同期の行天四郎との差です。
恩地が僻地で、車や冷房の修理交渉、制服支給といった仕事に追われる一方、行天はサンフランシスコ支店の総務主任になっている。
同じ「総務主任」という肩書でも、置かれている環境は大きく違います。
私はこの場面がかなり気になりました。
自分自身も、同期が自分とは違う仕事を任され、活躍しているのを見て焦ったり嫉妬したりすることがあるからです。
左遷とは、「嫌な場所へ送られる」だけではありません。
自分がそこで何年も過ごしている間に、同期は別の経験を積み、人脈を作り、次の仕事につながるキャリアを築いていく。
恩地が感じた虚しさは、単純な勤務地への不満ではなく、
「自分だけキャリアの時間を奪われている」
という感覚に近かったのではないでしょうか。
もちろん、これは私の解釈です。僻地勤務そのものに価値がないという意味でもありません。
それでも、本人が望まない人事が繰り返され、その一方で同期との差を見せつけられる構図には、人事が人間へ与える影響の大きさを感じます。
それでも恩地は、会社を完全には見限っていない
さらに印象的だったのが、恩地が社長へ直接手紙を書く場面です。
恩地は、自分を苦しめている海外人事について、もしかすると労務担当役員が主導しており、社長自身は詳しく知らないのではないかと考えます。
そこで、社長なら状況を知れば動いてくれるのではないかという望みを託し、手紙を書きます。
私はここを読んで、
そこまで追い詰められているのに、まだ会社に期待しているのか
と思いました。
本当に会社そのものを完全に見限っているなら、社長へ訴える必要もありません。
恩地の中にはまだ、
「トップまで話が届けば分かってもらえる」
「会社そのものが間違っているわけではないのではないか」
という期待が残っているように見えます。
だからこそ余計に苦しい。
恩地は会社がどうでもいい人間なのではありません。
むしろ会社やそこで働く人たちを大事にしているからこそ、簡単に離れることができない。
少なくとも第1巻を読んだ時点では、私はそのように感じました。
現代の会社でも、人事で社員をここまで追い込めるのか
ここまで読むと、一つ疑問が生まれます。
現在の会社でも、社員が会社へ意見したことを理由に、遠隔地へ飛ばすようなことが許されるのでしょうか。
結論から言えば、会社には一定の配置転換・転勤を命じる権限があります。
そのため、「本人が望まない転勤だから違法」というわけではありません。
ただし、その権限も無制限ではありません。
厚生労働省は、配置転換について、業務上の必要性がない場合や不当な動機・目的が認められる場合、あるいは労働者へ通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を与える場合などには、権利の濫用となる可能性があると説明しています。
さらに、労働組合法7条では、労働組合への加入や正当な労働組合活動を理由として解雇その他の不利益な取扱いをすることが禁止されています。
興味深いのは、現実の日本航空でも労働組合員に対する人事を巡って、不当労働行為が認定された事例が存在することです。
1972年の日本航空事件では、組合員だった副操縦士4人を機長昇格候補者として扱わなかった措置について、東京都地方労働委員会が不当労働行為と判断しています。
この命令では、機長への任命などが会社の裁量に属するとしても、組合所属を理由として差別的に扱う場合には、不当労働行為に関する制約を免れないという趣旨の判断が示されています。
ただし、ここは明確に区別する必要があります。
この現実の事件が、そのまま恩地の海外人事を証明するわけではありません。
『沈まぬ太陽』は、多数の取材や事実を背景としながらも、小説として再構築された作品です。新潮社の資料でも、事実に基づきつつ「小説的に再構築」された作品であることが説明されています。
したがって、
「恩地の人事は現在なら明らかに違法だ」
とまで言うことはできません。
一方で、
人事権を使って社員へ不利益を与えることには、現在でも法的な限界が存在する
ということまでは確認できます。
恩地がここまで左遷された「本当の理由」を考える
では、恩地はなぜここまで左遷されたのでしょうか。
第1巻まで読んだ現時点で、私は二つの要因がぶつかった結果だと考えています。
一つは、会社側です。
恩地は、組織にとって都合のよいことだけを言う社員ではありません。
自分が正しいと思えば、会社に対しても意見する。
そして作中では、その恩地に対して人事が懲罰的に使われているように描かれています。
もう一つは恩地自身です。
恩地には、楽になるために自分の節を曲げるという選択肢もありました。
しかし、それを拒否した。
だから会社との対立が終わらなかった。
ただ、私はこの二つを五分五分の責任だとは思いません。
社員が信念を曲げないことと、会社が人事権を使って社員の生活やキャリアへ現実的な不利益を与えることでは、持っている力が違うからです。
だから私は、恩地の頑固さには疑問を持ちながらも、会社側の人事のあり方にはより強い違和感を覚えます。
同時に、恩地の生き方をそのまま真似したいとも思いません。
家族まで巻き込んで、それでも信念を守る。
私ならそこまでできないし、そこまでするべきなのかという疑問も残ります。
だからこそ恩地元という人物が面白い。
単なる正義のヒーローでもなければ、単なる会社の被害者でもありません。
自分が正しいと思うものを曲げられない人間と、人事という強大な権限を持つ組織が正面からぶつかったとき、一人の会社員の人生はどこまで変えられてしまうのか。
第1巻の恩地の左遷を読んで、私が最も考えさせられたのはその点でした。

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